光源寺テレホン法話


藤原 正遠師 法話






『とんぼ安心』(八月十五日)
今日も又「親のこころ子のこころ」の中の『とんぼ安心』というところを読ましていただきたいと思います。

これは、ある人の手紙でございますがそれを読んでみます。
「ご無沙汰いたしています。いつもご教化ありがとうぞんじます。私はいつも『とんぼ安心』で救済されています。数年前当地にお越しの折りに聴聞させていただいたのです。

先生はこうおっしゃいましたね。
「とんぼがガラス戸に頭をぶっつけて外に出よう出ようとするが、とんぼの頭ではガラス戸を破ることが出来ない。とうとうとんぼは力尽きて死んでしまう。一生懸命に頭をぶっつけている時に後ろから仏さまが、阿弥陀さまがよんで下さる。後ろに広い世界があるよ。向きをかえなさい。

とんぼは言う。私には後ろの世界が分かりませぬ。向きをかえることも出来ません。

阿弥陀さまは仰せになる。そんなら私の名前をなむあみだ仏と呼びなさい、呼べば必ず向きがかえられる。

とんぼは仰せのままにお念仏をしたら不思議に向きがかえられて、こんな広大無辺の世界のあることが知られた。

お念仏を申すと、こんな効用(ご利益ですね)のあるものですよ」と、あれから私は四苦八苦している時に、ふっと先生の『とんぼ安心』のお話を思い出すのです。すると私の口から自ずからお念仏が流れて下さいます。

そうして私はいつも方向を転換させてもらっています。私の身の上のこと、あるいは心の上に起こること、他人様のことなどで私が苦悩する時、私はいつもお念仏があらわれて下さって、私はいつも方向転換させてもらって私は救済されています。

「念仏は無碍の一道」と仰せになることはこのことと了解させてもらって、ほんとうにありがたい、ありがたいお慈悲でございます。あれからお聖教を拝読いたしましてもその内容が了解されてくるのでございます。まだあとが続きますが、時間が来ましたのでこれだけにいたします。

南無阿弥陀仏






よろこびの絶頂の歌(九月十二日)
ああ、勝手なお話でございますが、ある若い女性から、
「先生、も一寸元気の良い歌をつくって下さい。こんな歌をよむと情けのうなって本当に寂しい、悲しくなります。」ま、こんな意味の手紙が来たんです。その歌はどんな歌かと申しますと、

生きるものは 生かしめ給う
死ぬものは 死なしめ給う
我に手のなし 南無阿弥陀仏

私はこれはお念仏に摂取された私には本当に充実した心の表現をしたのですが、なるほど情けない歌と受け取る人もあるんだなあー、と思うてこの歌を読みますと、まことに情けない歌ですね、消極的な歌ですね。

「生きるものは生かしめ給う死ぬものは死なしめ給う我に手のなし」でしょう、しまいに葬式の時だけ言うように思っておる人にはなんまんだ仏と書くとですね。まことに情けない歌ととられるのも無理はないと思ったのでございます。

しかし、私はねえ、この南無阿弥陀仏ということは、「五十年、百年の世界で苦悩しとった私が、南無阿弥陀仏に摂取されたら、私は五十年百年の命ではない、まことに如来の無量寿の命の中に生かされている」ということを知らしてもろうて、それから生まれた歌でございます。

それには、我に手のなしというのは、私の自由のないところに一切が仏わざである。ま、こういうことを知らしてもらったところに、「我に手のなし南無阿弥陀仏」というところに、今度は、生きる、死ぬ、ということも如来のなさしめたもうままである。

それだから、「如来が命を下されば生かしてもらっとるし、死をお与え下さったら死なしてもらいます。一切が仏わざでございます。」というこういうことを私としては表現したつもりだったんですね。

それですから、その女性の言うて下さったことで、なる程こんな受けとり方もあるかなと教えてもらいましたし、又、私自身としては、「これは私のよろこびの絶頂の歌である。」ということを今も思っていることでございます。そういう訳でございます。

南無阿弥陀仏






一心とは(九月十一日)
私の人名簿の裏のページに次のような言葉が記されてあります。誰のお言葉だっのか忘れましたが、はじめに、

1 一心とは、南無阿弥陀仏一つに心が摂まること。

2 流転輪廻とは、心が流転して一心になれぬこと。

3 一心になったのを、信心と言う。

4 「義なきを義とす」とは、流転が終わること。

私はこのお言葉に、まったく同心出来たので書き写していたのだろうと思います。私は私なりに長い間心が流転に流転して来ましたが、おかげさまで南無阿弥陀仏一つに心が摂まることを最上のしあわせと喜んでおります。私の昔の歌に

いずれにも 行くべき道の 絶えたれば
口割りたもう 南無阿弥陀仏

蓮如上人のおおせのごとく、思案の頂上まで行き詰まらせてもらいまいたが、私の口からお念仏が口を割って下さって阿弥陀さまのお迎えをいただいたのでございます。すでに六十年経ちますが、いつでも苦悩の深いほど南無阿弥陀仏に心を摂めてもらっておる訳でございます。

天親菩薩の『願生偈』のはじめのところに、「世尊我一心、帰命尽十方無碍光如来、願生安楽国」とおおせになっています。『世尊よ、お陰さまで、南無阿弥陀仏(帰命尽十方無碍光如来)、一つに心が摂まった身にさせていただきました。「願生安楽国」と、安楽国を未来に求めていましたが、今は南無阿弥陀仏の中に、”願生安楽国”が摂まりました。』と、こういうお喜びのお言葉と私はいただいております。そこに『歎異抄』の「念仏は無碍の一道なり・・・」とおっしゃることがよくよく知らされることでございます。

南無阿弥陀仏






死の解明(十月二十三日)
私が若い時、浪人して受験勉強していた時、姪の友達の九つの女の子が脳膜炎で非常に苦しんで死んだのを見て、私の心は転倒して、それから「死の解明」一筋に今日まであるかせてもらってきた次第でございます。お念仏のまったくない家庭に生まれた私が、お念仏の大谷大学に入学させてもらったのもそのお陰でございます。

私の口からお念仏がお出まし下さったのは、『歎異抄』の冠頭のお言葉、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり」のお言葉が、信じられていたのだと今にして思うことでございます。それは無意識の中に信じられていたのであると思います。そうしてこの「無意識」が、最上にありがたいことであると最近つくづく思うことでございます。

私は沢山の本を読みますが、一ページから全部読むことはございません。まず「目次」を見て、その著者の「死生」のことについてある所だけを読みます。人生百年の間の救済の問題は私にとっては第三義、第四義である。「死の解明」を抜きにしてなんの人生救済がありましょうか。今呼吸しているこの一息が切れると私は死骸となる。鳥葬されると鳥に啄まれ、海に棄てられると魚の餌食となり、火葬さるれば灰となり、土葬さるれば土となる。九つのあの女の子は土葬でありました。あの子が死んで私はペンを棄てました。本を棄てました。毎日あの子の山の墓場に行って、青空を仰いで斜面の芝生に寝ころんで一日をすごしました。かたわらにあった大きな椿の木はま赤な花を音もなく落としました。頬白は来てひねもす鳴いていました。人が死ぬのではない、私の忘れていた「私の死」を身を殺して私に警告してくれた九つの子でございました。

さまざまな死に方があるのではない。すべて私の死に方を先取りして見せてくれているほとけ様だったのでございます。

南無阿弥陀仏






救済の道は絶無か(十一月十三日)
私の寺で、隔月に『法爾』という四ページのパンフレットを出しておるのでございますが、今月号の私の題は「救済の道は絶無か」救いの道はまったくないのか、こういう題で書いたのでございますが少し読んでみます。

人間の根本の苦悩は生死と煩悩の板挟みである。わかりやすく言えば「死にたくない私」が「死なねばならぬ」と言うことである。しかしこの問題は人間の能力では絶対に解決の道はない。万行諸善をやっても、私自身が身も心も「死にたくない」そのものである。救済絶無である。「いつ死んでもよろしい」と言う人も、「死にたくない」と言う地盤に立っての言葉である。

では救済の道は絶無なのであるか、いや、ただ一つ救済される道がある。それは「阿弥陀仏の摂取」である。『歎異抄』第一章に、

「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり。」

阿弥陀仏のご摂取に遇えば、私は無限の阿弥陀仏のご摂取の中となる。無限の中の有限の私である。「機法一体」である。今までの有限の私が主体で苦悩していたが、摂取されると主体が無限の阿弥陀仏となり私はその掌中となる。たとえば電源があっての電灯であり、扇風機であり、動力である。この宇宙の千変万化の「私」の働きは、全部絶対無限の「法」の活動である。云々。

まだこういうことを書いておりますが、お陰さまで私はお念仏に摂取されまして大法界の中の私、ということを知らされて心が安らがせていただいておる次第でございます。

南無阿弥陀仏






成 仏(十二月十一日)
仏になる。仏になるというと、何か別人になるようなことに今まで思っていた。幼稚園から、小学・中学・大学と、上へ上へと上がってゆくようなことと私は錯覚していました。実はその反対で、「人間という枠を壊して、大法界に摂取していただいて、私は零で、機法一体の南無阿弥陀仏にしてもらうことである」と、このごろ思えて来ました。

南無阿弥陀仏の廻向の 恩徳広大不思議にて
往相廻向の利益には 還相廻向に廻入せり

南無阿弥陀仏の御廻向によって、「往相」「還相」の二つの廻向を一時に成就してもらうことでありました。塵一つでも南無阿弥陀仏の摂取に洩れていたら、私は死に切れるのでございます。死にたくないまんま、やがて息を引き取って下さるまんま、機法一体のなむあみだぶつでございます。

阿闍世王が父を殺し母を幽閉したことも、なむあみだぶつであります。南無阿弥陀仏に摂取されましていた釈尊であればこそ、「月愛三昧」で阿闍世をお迎えなさったのでございます。

蜘蛛の糸が切れて再び血の海の地獄に落ち、まったく無救済のカンダカは地獄の下でお待ち下さっていた大悲の阿弥陀仏のご摂取にあったのであります。

「阿弥陀仏は、地獄の下にお待ち下さる」と私は言う。地獄の上にましましたら、地獄に落ちたものの救済はどこにあるのでありましょうか。じごくの下のその下に、落ちても落ちても阿弥陀仏の掌中でございます。

「無縁の大悲」のお言葉があります。無救済の地獄一定の思案の絶頂の、そのその下に阿弥陀仏はましましてご摂取下さることでございます。私はこの阿弥陀仏に摂取されまして、私の心がほどけました。私は心のほとけることを、「仏になる」と言いたいことでございます。

南無阿弥陀仏






極重悪人唯称仏(一月十五日)
「極重悪人唯称仏」この題で書いた自分の文のはじめを読ましていただきます。

三世十方すべての世間様の種々相は、私一人に内在しているものをあばき出して見せて下さっている諸仏である。そうして私を苦悩させるものは、私に内在しているドロドロの罪悪深重である。私はまったくの極重悪人である。この極重悪の救済される道は絶無である。

私以外に人間並びに万物が存在して相対的に物を見ていた時は善悪の世界を迷っていたが、私一人があらゆる罪悪の塊と知らされ時、天国も地獄も私にはまったくなくなった、皆無となった。

では「極重悪人唯称仏」のお言葉はどう頂戴すればよいのであろうか。罪悪の塊の私がいかに念仏を申しても、その罪悪の塊になんの反応も示してはくれないのである。タドンは兆載永劫、洗っても白くなる道理はない。私はまったくの罪悪深重のまっ黒の塊である。実は「唯称仏」は、私が懸命に念仏申して私の罪悪を除去し、消滅してくださるものではなかったのである。

宇宙全体を、無始無終、過去世から未来永劫にかけてご活動ましましている不生不滅の大法界があったのである。その大法界から方便法身の阿弥陀仏が、「南無阿弥陀仏」とわが名を称うるものをその大法界に迎えると、報身仏の身姿をとってまったくの無救済の私を迎えに来て下さっていた「南無阿弥陀仏」でましました。私はこの阿弥陀仏に迎えられて、ここに私の心に安らぎを与えていただきました。

南無阿弥陀仏






南無阿弥陀仏の大恩恵(二月十九日)
私が阿弥陀仏に迎えられ「南無阿弥陀仏」と申しましたら、その瞬間、私という存在は滅して、私は大法界の一分子だったことを信知させて下さったのでございます。それが摂取不捨のご利益だったのでございます。「私」という存在が滅した時、私の罪悪と思っていた罪悪は大法の如来のご活動と一変させてもらったのでございます。ご和讃に、

名号不思議の海水は 逆謗の死骸もとどまらず
衆悪の万川帰しぬれば 功徳もうしほに一味なり

このご和讃の通りの身にさせていただきました。私の肉体は生きているが、法身の私は息をさしてもらっているのでございます。「生死即涅槃」でございます。私の生死は大法の如来の生死なのでございます。いつ死んでもよいというのではございません。生きていることは嬉しく、死は悲しく、死にたくないとい煩悩が法界の如来から下さったものでございます。「煩悩を断ぜずして涅槃を得」とのおおせの通りでございます。「煩悩即菩提」でございます。

本願円頓一乗は 逆悪摂すと信知して
煩悩菩提体無二と すみやかにとくさとらしむ

というご和讃のおおせの通りでございます。ここに私はいよいよ極重悪人の生活の連続でございますが、いつも南無阿弥陀仏の大恩恵をこうむって念々に歩かしていただいております。

罪障功徳の体となる 氷と水の如くにて
氷多きに水多し 障り多きに徳多し

まことにご和讃の通り、念々罪悪深重、障り通しがいよいよ南無阿弥陀仏のお慈悲に私はあわさしていただいて、本当に心を障りの多いほど、ほどかしていただいておるのでございます。

南無阿弥陀仏






果遂の誓い(三月五日)
あるご婦人のお手紙をいただきました。
「私は最近まったく心の仕末がつかなくなり困り果てています。幼い子供が育つまで、又、子供たちがそれぞれ家庭を持つまで唯々、お念仏に励まされて生かさせてもらって来ました。

貧困のどん底にあっても、お念仏が口を割って下さると心が明るくなり、勇気が溢れて来て、生き抜かさせて下さって参りました。しかし、先年病気になり仕事も止めて長男の所に行っていました。この頃大体快くなって元の仕事をしておりますが、今、お念仏をしても昔の様な明るさは出てきませんしファイトも湧きません。子供達の所に行きましても親切にはしてくれますが、なんだか溝が出来てよそもの扱いにされているようです。孫たちも大きくなるにつれ、ろくに話もしてくれなくなり私はいよいよ孤独になり一人ぼっちです。一切は『お与えさま』と思っても心は黒闇に閉ざされ、ま夜中に心はもだえて中々眠れません。一体、私はどうしたらよいのでしょうか。」と。

私はそのご婦人に次のようにご返事を書きました。「今までお念仏によって勇気づけられ生き抜いて来られたことは、まことに素晴らしいありがたいことと思います。しかし今、いくら念仏をしても心は閉ざされたまんま黒闇のままだと言われます。わたしも記憶がありますが、あなたは今がまことに幸せのチャンスが訪れたのではないでしょうか。『思案の絶頂』と言うのは、人知の万策尽きて四苦八苦の場所なのです。諸仏に棄てられ十悪五逆の罪人を迎え取って、大法に帰せしめて下さるのが本願念仏です。わが世に処する道閉じた、まったく三定死の所に摂取に来て下さる阿弥陀仏です。物欲のために身動きもならぬ断末魔に摂取に来て下さる南無阿弥陀仏です。

いずれにも 行くべき道の 絶えたれば
口割り給う 南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏






大宇宙のご活動(四月十六日)
一息が 永遠のいのちと 知らされて
三世十方 闇晴れにけり

最近私はこの”永遠のいのち”を”大宇宙のご活動”といただいております。大宇宙という言葉はございますが、私達の頭脳でその世界は全然分かるものではございません。夜空にきらめくあの無数の星の群れも、大宇宙のご活動の小宇宙でございます。望遠鏡で見える星くずの他に、幾千万幾万倍の星くずがあって果てしないのでございましょう。その星群が大宇宙のご活動の小宇宙でございます。私達の住む地球も、その小宇宙の一つでございます。その小宇宙の地球上に私達はあって、幾万年、生まれて死に生まれては死ぬ、まことに果敢ない吹けば飛ぶような微粒子の存在でございますが、それも大宇宙の小宇宙である。一息尽きれば一片の白骨となる私達は、大宇宙の小宇宙である、活動体である、機法一体である、こういうことを釈尊はお悟り遊ばしたのでございましょう。

親鸞聖人は九才の時、大宇宙のご活動なることがお分かりにならず、叡山にして生死と煩悩の苦に挑戦なさったのでございます。二十年の挑戦も功も奏せず、その大宇宙よりの天籟のみ声が聞こえなかったのでございましょう。そうして下山遊ばし法然上人におあい遊ばして、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらずべし」とのご教示を頂戴なさったのでございます。阿弥陀仏は大宇宙からみ姿をとって愚鈍の私達に対して、「お母さん、南無阿弥陀仏と称えて、大宇宙のみ親のもとに帰れよ」とのお迎えの報身仏でまします。

ここに聖人は、お念仏のご摂取をいただかれ、釈尊の”正覚”と等しい”等正覚”の身となられたのでございます。だから、聖人はこの本願念仏によって、「大宇宙の私は小宇宙である」という世界をご信知させていただかれたのが聖人の恩徳讃のおよろこびでございます。

南無阿弥陀仏






自由自在人(五月七日)
お念仏は、私を自由自在人にして下さる大願力でまします。一体私達は、有限の私の上に自由を求めているのでございますが、結論的に真の自由はないのではないですか。砂上の楼閣の有限の私だからでございます。四苦八苦してさがしても、限りある五十年百年の命の上の自由でございます。

では真の自由はどこにあるのでしょうか。一体人間は、また万物は、無量寿から出生しているのでございます。その私達がこざかしく自力になって、”わが命”と思い上がっている所に苦悩の根元があるのでございます。不自由●不自在を、おのれが作って苦悩しているのではありますまいか。されば根元の無量寿に帰るより外に真の自由はございません、自在はございません。しかし十万億仏土迷い出ている私に、その無量寿に帰る道はまったくないのでございます。念仏はその根元に帰らせて下さる唯一絶対の無碍の一道なのでございます。

私個人の全く不自由な所に、万策尽きた所に、思案の絶頂に、無量寿より呼びかけて下さっているのがお念仏様でございます。無量寿から有相方便して姿を取って、阿弥陀仏がみ姿を取って悲母となって「早く私のもとに帰って来いよ。」と召喚し続けて下さっていた大悲のみ親でございました。

比叡で二十年、有限の自力修行不可能に行き詰まられて、法然上人のおすすめでお念仏なされたのが親鸞聖人でまします。「ただ念仏して、弥陀にたすけられなさいよ」と、ここに聖人は自在人となられたのでございます。真の自由人となられたのでございます。いかに不自由なさいましても、一度お念仏に乗托し親子対面なされた聖人は「憶念の心」つねにして、常に自由人、自在人となられたのでございます。私もお陰さまでお念仏に摂取されてよろこんでおります。

南無阿弥陀仏






「救いはないぞ」の救済(六月十八日)
藤原正遠です。かって私は


生きるものは生かしめ給う
死ぬものは死なしめ給う
我に手のなし南無阿弥陀仏

という歌を詠んだことがございます。この「われに手のなし」というのが「救いはないぞ」のお声でございます。まったく無救済の所に阿弥陀仏の摂取が働いて下さって、「生きるものは生かしめ給う、死ぬものは死なしめ給う」と発言させてもらったものでございます。

「無縁の大悲」と言うお言葉を依頼されますと私はよく書かせてもらいます。「無縁」とは、「私の救いはないぞ」ということでございます。そこに大悲の南無阿弥陀仏がご摂取に来て下さるのでございます。

以前夜中に度々心臓発作が起きました。やがて治まると体が冷たくなる、その時「救いはないぞ」のお声が聞こえて来て私はただお念仏しているのでございます。最近胃腸の具合が悪くて昨夜非常に痛んだ、やっぱりこれは胃ガンでないかとの思いに強迫されました。「救いはないぞ」のみ声で、おのずから南無阿弥陀仏とお念仏さしてもらってるそこに私の心は摂(おさ)まるのでございます。八十五才にもなると次々に友達が死んで、私の死をいや応なしに思わせて下さるのでございます。「救いはないぞ」のみ声で私の心は収まるのでございます。腹が立ってどうにもならず持てあます、「救いはないぞ」のみ声で腹の立ったまま収まって、私の心の中でお念仏をさせてもらっております。次々に仕事がたまって、部屋中は雑然として頭が割れそうになります。「救いはないぞ」のお声がひびいて下さると、お念仏に心は収まり「なんとかなるわ」の心を廻向してもらって、寝ころびさえ与えられるのでございます。

整理する心を棄てて安らへり
花園の如し雑然の部屋

こんな歌も出来ました。


たのめとは 助かる縁の なき身ぞと
教えて救う 弥陀のよび声

お念仏は私の自由を完全に殺して、如来のご活動の世界に転入させて下さる所の大悲でございます。

南無阿弥陀仏






美しい如来の大行(十月八日)
私は生まれて来て、やがて学校に行き、やがて就職し、やがて結婚し、やがて子を育てて、それから老いぼれて死んでゆく。この現象を私は今までまことに味気ない果敢ない無意味なことのように思って来ました。そうしてもっと素晴らしいことはないかともがいて来たのでございます。しかし今は、この現象が最も素晴らしい美しい如来ご廻向の「大行」であると思えるようになりました。

昔から問題は私の眼にある、と言われます。私の見方にある、と言われます。地獄の眼を持っているものは、この世が五濁悪世と見えるようです。極楽の眼を持っているものは、この世が八功徳水の香ばしい浄土に見えるそうであります。私もこのごろは極楽の眼をもらったのでありましょうか。

一体、万物の霊長という言葉はある意味では尊い言葉であろうが、ある意味からすればまことに不遜極まる言葉であります。不遜なるが故にたちまち天罰をこうむるのである。自分を尊いと思うから他を軽蔑し、噺笑せねばなりませぬ。裁かねばなりませぬ。犬猫は畜生である。あの奴は悪人である、等々。私も万物の霊長であると高く止まっていたから、この世の中が五濁悪世に見えたのでありましょう。

みみずが下等動物と見えるということは、私は上等の霊物なり、といううぬぼれからであります。一体「成仏」ということが、霊長が更に増長して成仏する、というふうに私も昔は考えたことばありますが、まことに鼻持ちならぬことでございます。

ある本に「みみずが龍になる迄に一心一向に念仏せねばならぬ」とありましたが、私はさてな、と考えさせられました。お念仏は極悪最下のものが途方に暮れている時に、「お前も仏の大法の中にいるのや、大法の中からお前も生み出されているんだよ。」とささやいて下さって、そっとそのまま大法に摂取して下さることでございます。

南無阿弥陀仏






念仏成仏是れ真宗(九月十六日)
念仏は、私の救済を満足させるものではない。念仏は五十年の私の救済をまったく否定するものである。五十年の命の上に救済はまったく失わしめ、その場所において無量寿の命に面会させて下さるのが念仏である。

念々に自己の救済を失わしめ、念々に無量寿の世界を深めさせ、広めさせて下さるのがお念仏である。「何れの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定住家ぞかし」と聖人はおおせになるが、一体地獄とはなんであろうか。

我らは生きることに血みどろになっている。しかし、一日一日、一番大切な命はその血みどろの努力にまったく相反して消耗されてゆくばかりである。このことは千万年を通じていかなる人も手をかけることは出来ぬのである。手をこまねいたまま見ていなければならぬ。まったくいずれの行もおよびがたきことである。刻々刻々、無間地獄、手のつけられぬままにずるずると命は消耗され、ただ残されたるは火葬場ばかりである。ただ火葬場の道行きなることは、万人平等にひとしく千万年を通じて狂いのない事実である。

親鸞聖人もこの無間地獄に目を据えて凝視された時、二十年の精進努力もまったく無駄であって、いずれの行もおよびがたしと、一切の私の救済に対して絶望されたのである。絶望といって絶望に立ち止まっておる訳にはゆかぬ。刻々と地獄は一定住家なればすべり落ちてゆくばかりである。ここにはじめて親鸞聖人はお念仏にあわれたのである。ここにはじめて阿弥陀仏の呼び声が聞こえてきたのである。この「自力無効」の場において、「仏法は無我にて候」のお声がひびいたのである。

阿弥陀仏とはなんぞ。「光明無量、寿命無量」のお命でまします。ここに個の存在の否定において、「一切はただ、絶対無限の妙用なり」の親の懐に帰り得たのである。

南無阿弥陀仏