今日はあなたの誕生日 

朝、出勤途上の車の中での夫婦の会話

「ところで旦那さま、お母さんの誕生日知ってる?」

「大正2年5月30日」

「31日よ、それじゃ、お父さんの誕生日は?」

「明治42年3月じゅうなん日かな」

「2月13日」

「ほやほや。3月は姉ぇちゃんの誕生日やった」

「私、おじいちゃんは8月12日だったのは知っているけど、おばあちゃんは1月の何日だっけ?」

「え〜っと、1月10日かな。でも二人とも命日やぞ」

「あら、お浄土での誕生日でしょ」

 ●△■×○▲□??????????」

そうでしたね。命日とは浄土へ生まれた誕生日なのでした。 花を飾り、好きだったものを供えての、浄土への誕生日の祝い事でした。


お祝いの言葉が「なぁまんだ〜ぶ、なぁまんだ〜ぶ、なぁ まんだ〜ぶ」と耳に聞こえてくださいます。

なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...






往生極楽の道 

親鸞聖人は二九才で法然聖人に出遇った時に聞かれた事を、奥様の恵信尼さんは「よき人にもあしきにも、おなじやうに生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひしを、うけたまはりさだめて候ひしかば」と書き残しておられます。

「後世のたすからんずる縁」を求めて、吉水の法然聖人を訪ねた宗祖は法然聖人から、「生死出づべき道」生死(しょうじ)を超える道を聞き拓かれた事でしょう。

「うけたまはりさだめて」とありますから、これを自己の歩む道(目的)として定めなさったということでしょうか。

「後世のたすからんずる縁」、手段、方法を求めに来た宗祖に法然聖人は「生死出づべき道」つまり目的をお示しになったのでしょう。


「あなたの求めているものは、手段とか方法というつまらんものではなく、目的そのもの、南無阿弥陀仏の本願一実の直道なのですよ。」とのお示しがあったのではないでしょうか。
「あなたが修業をして仏様に救われるのではなく、仏様の方が修業してあなたの仏になる功徳を全て成就したのが、大般涅槃、無上の大道なのです。あなたが仏様の目的なのです」とのお説教があったのでしょうか。
今まで細々と目的に至る路(雑行)を歩いている人に、如来回向の大道・目的の中(本願)にいることを提示されたのが、法然聖人なのであり浄土門という宗教なのでしょう。まさに「雑行を棄てて本願に帰す」でありました。

しかし小生のような者は、「生死出づべき道」といわれても何のことやらさっぱり分かりません。「道」といわれても、目的に至るための手段方法としての「路」しか思い浮かびません。
生と死はお前の虚妄分別がつくり出しているもので、無生の生であり不生だといわれても、煩悩・菩提体無二といわれても何のことやら解りません。
解ったような気になっても、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒は身について離れませんし、煩憂悩乱の毎日。
生は謳歌して楽しむものであり死は考えるのも嫌なものです。さてどうしたらよいのか。

宗祖は歎異抄の二条目で「おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり」と 仰せになっておられます。

関東から訪ねてきた同行に、あなた達は「往生極楽のみち」を問いに来たのですねと念を押されています。「往生極楽のみち」これなら小生にも少しは分かりそうです。
「生死出づべき道」を「往生極楽のみち」として、小生にはどう考えても死ぬとしか考えられない事を、宗祖は、生まれることなのだ、極楽へ往き生まれること(往生)なのだとお示しになられます。
「その仏の本願力、名を聞きて往生せんと欲へば、みなことごとくかの国に至りて、おのづから不退転に至る」と「往生せんと欲へ」とのお示しです。

 この小生の生命は、ただ空しく死んでいく為の生命ではなく、往って浄土に生まれる「いのち」なのだ、仏様の国へ「往生せんと欲へ」との仰せです。
生まれて、ただ死んでいくだけの「生命」ではなく、気の遠くなるような昔から阿弥陀様に私の国に生まれるんだよと願われていた「いのち」と聞きました。

浄土は小生の、死の帰する所、生の依って立つ所(帰依)となって下さり、小生の「いのち」の意味、死ぬことの意味を、「往生極楽のみち」として示して下さった事でありました。
また「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」となんまんだぶつを手段ではなく目的そのものとして示して下さった事でありました。


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お仏壇の化け物 

小生は子供の頃から仏壇で朝夕お勤めを欠かさない両親の後ろ姿を見ながら育ち、祖母に親鸞聖人のご苦労話を聞き大きくなりました。
しかし、物心がつき反抗期に入ってからは仏壇の前に座るなどということは全くなくなりました。
それどころか父親と喧嘩したときには、仏壇に火を付けて燃やしてやるなどと脅迫するのが常でした。
両親の大切にしているものを破壊する事が最もよい脅迫方法だと思っていたものでした。

ある日いつもの小生の言葉に業を煮やした父親が「そんなに燃やしたけりゃやってみい。その前に仏壇から正信偈を持ってきて足で踏んでみい」と言われたことがありました。
何せ小生は頭に血が昇っておりますから、仏間へ走って行って常用の正信偈を持ち上げ足で踏みつぶそうとしましたが、この正信偈がなかなか持ち上がりません。いや持ち上げる事が出来ません。
ふっと、ひょっとしたら罰があたるんじゃなかろうかと思ったのです。


祖母に聞かされた地獄や炎魔さんの話が脳裏をよぎったのでした。
そうです。この時小生にとっての仏壇は得体のしれない魑魅魍魎の化け物の住む場所だったのです。あの中には得体のしれない生き物が住んでいたのです。
正信偈を足で踏みつぶす事は何となく誤魔化してその場は収まりましたが、爾来、小生にとって仏壇は魑魅魍魎の分けの解らない生き物の住む場所でした。

この生き物の正体をはっきりさせようと仏書を読むうちに、魑魅魍魎の化け物は全て消え去り、仏壇に火を付けようが御聖教を足で踏もうが何の関係もない事を知りました。
十方仏国浄土なのだ。善悪浄穢はないものなのだ、ただ心が形成しているだけなのだ。この心こそが大切なのだと思っていたものです。

浄土真宗という教えが解った様な気になって西方浄土をいう年寄りをからかったり、聴聞の時なんまんだぶつを称える人を喧しいと怒鳴りつけたりしていたものでした。勿論、なんまんだぶつが口を割るなどということはありません。


何せ聖典などは全く読まずに、適当な仏教の解説本を自分の都合のよいように読み替えて読んでいたのですからいい加減なものでした。
言葉を知っていても言葉の意味を知らなかったのですから。

ところがある日、友人の御院家さんが下さった法話のテープを家内が聞き「この話は素晴らしいことを語っているから一度ライブで聞きたいね」とのこと。
また偶然にも「そのテープの和上様が今度出雲路派本山の夏安居においでになるから」と夏安居に誘われて三日間の聴聞三昧でした。

びっくりしました。小生の持っていた浄土真宗観が全く違うということをいやというほど思い知らされました。
私の感受性や心の持ち方が大切なのではない。私を大事にするよりも、私をおもって下さってある阿弥陀様が大切なのですとのお示しでした。


知識経験、論理や理屈の話ではない。煩悩に明け暮れる原初の人、素凡夫としてのお前の話なのだとのお諭しでありました。
小さな頃から口になずんでいる正信偈の、七高僧のお手柄を深々と知らされた三日間ではありました。
 胸を押さえ腹に手をあて、なんまんだぶつ、なんまんだぶつと称えられ、聞こえてくださる阿弥陀様ごいっしょの三日間でした。

初日、興奮さめやらぬまま帰宅し父親に「じいちゃんよ。家にお聖教ちゅうもんはあるんか」と聞き、父から渡されたのが聖典と小生の初めての出遇いでした。


爾来、サッパリ解らない聖典が小生の死の帰すべきところ、生の依って立つところ、帰依の対象になって下さいました。

そして、仏壇は再び生き物の住む場所となって、なんまんだぶつ、なんまんだぶつと洞らかに御恩報謝の称名をし、楽しむ場となってくださいました。
小生の生き方を問い、心の奥底までお見通しの阿弥陀様の住む所になってくださり、慚愧感謝の称名をする場となってくださいました。

木画の尊像生けるが如しと、365日休まずにお仏飯を給仕しお華を献じてきた両親はとんでもない善知識でありました。

お仏壇の御性入れに43年もかかってしまった、愚かな小生のざれ言でした。

無慚無愧のこの身にて
  まことのこころはなけれども
   弥陀の回向の御名なれば
    功徳は十方にみちたまふ


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和顔愛語(わげんあいご)

大無量寿経の中に「和顔愛語にして、意を先にして承問す」の文言がある。簡単なようだが、和顔と愛語は実践しようとするとなかなか難しい事である。
今日日、和顔愛語で近づく奴は腹に一物手に荷物の詐欺師だと思われそうだ。

小生は見知らぬ人にニコニコして「今日は、今日は良い天気ですね」等と言う度に相手がびっくりして警戒された経験をいつもしている。
もっとも周りの人に言わせれば、小生の人相が悪いので警戒するのは当たり前だと言うが・・・・・。自分でもそう思う。

最近ではご法座の席の雰囲気も変わって、皆さんバラバラに参集して来て何やら難しい顔をして法話を聞き、そして回りの人と言葉を交えることもなく、暗い顔をしてバラバラに帰って行かれる。


20〜30年昔は法話の合間にあちこちで車座になり、見知らぬ人との間で話が弾んでいたような記憶があるが今はあまり見かけなくなってしまった。
隣に座った人と挨拶もなく口も聞かずに帰られる方もいるが、御同朋、御同行の精神は何処へいったのかと思うことしきりではある。
昔、ご法座参りの初心者で何をどうしてよいか判らない小生に

「アンちゃん何処から来た。」
「山室」
「あぁ、あの在所か。ウラんどこの在所にも山室から嫁に来たのがいる。知ってりケ。まぁこっち来ね」


などと言っては、飴や駄菓子をくれたばあちゃん達が何処にもいた。

「おんなじ御開山のとこへ行く同行やさけのぉ」


と何の警戒もなく若造の小生を暖かく迎え入れて、それぞれの味わいを語ってくれたじいさん達がいた。

ここでは和顔愛語という言葉を知らなくても、和顔愛語がなんまんだぶつとともに生き生きと生きていた。


お寺の坊さんや布教使さんが賢くなって、信心を論じ、世間を論じ、盛んに人の生き方を説くようになってから少しずつ何かが変わっていってしまった。
なんまんだぶつを称えない坊主や布教使が増えるにつれ、猿でもわかるご法義が段々難しくなった。


今晩聞いて今晩助かるプラスのご法義が、真剣な求道を求め生き方をやかましく詮索するマイナスのご法義になってしまった。


機の話ばかりするせいか、有り難い、有り難うのプラスのご法義が、済みません、申し訳ありませんのマイナスのご法義になってしなった。


ご法座で昔のばあちゃんは「有り難うござんす」と言って人混みを空けてもらい、お礼をして便所へ行ったが、今のばあちゃんは「済みません」と言って人混みをかき分けトイレに行きく。最もそれも言わないばあちゃんもいる。

大無量寿経、法蔵菩薩所修の和顔愛語先意承問である。
宗祖は信巻の至心釈において真実とはこのような生き方だと法蔵菩薩の所修を示して下さいます。
蓮師は信心獲得章で令諸衆生功徳成就となんまんだぶつのいわれを示して下さいます。
なんまんだぶつを称えるじいさんやばあさんが、和顔愛語先意承問と小生を育てて下さった。
自信教人信 難中転更難 大悲弘普化 真成報仏恩を、なんまんだぶつと称え声に出し実践し、お前は田舎の一文不知の愚鈍なのだよと身をもって教えてくれたじいさんやばあさんだった。

諸衆生功徳成就と成就してしまって小生のする事が何もないからこそ、自分の顔でありながら。外に向いている顔を和らげて、愛語を語る努力を心がけるのも御恩報謝の真似事なのだが、攻撃的な小生にはこれが難中転更難ではある。

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転悪成徳 

教行証文類の総序になんまんだぶつを「転悪成徳」とする文言があるが、小生は悪を転じるならば善ではないか、何故徳などということが言えるのか等と思ったものでした。

円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智云々の文言です。
もっとも単なる善ならば廃悪修善に陥って世間の倫理と変わらなくなってしまいますが・・・・。

宗祖は信巻の後半で、長々と阿闍世の廻心を涅槃経から引文されておられま。
クーデターによって父親を殺した罪の意識にさいなまれ地獄に墜ちるという阿闍世を家臣がいろいろな方法で慰めます。
父を殺したという罪に愁苦する阿闍世にそれは罪ではないとか地獄はない等と説きます。いわゆる六師外道です。
しかし憔悴しきった阿闍世は父殺しの罪の意識から地獄へ堕ちると一途に苦しみます。
傍観者は無責任な言辞を発するのですが、阿闍世はまさに父殺しの当事者なのですから、どのような言葉にも納得はしません。
もし自分が自分で納得したところで、納得したという自分が残っている限り、ひょっとしたら地獄に墜ちるのではという疑いは残ります。
そして父を殺したという事実はどのようにしても消すことが出来ません。
この事実がある限り、阿闍世は地獄へ堕ちるという事から逃れることは出来ないのです。
そこへ大医の耆婆がやってきます。耆婆は父を殺し地獄に堕ちると嘆き苦しんでいる阿闍世にプラスの話をします。
「善いかな善いかな、王罪をなすといへども、心に重悔を生じて慚愧を懐けり」と地獄しか見えていない阿闍世に慚愧の意味を教えます。
また父親の頻婆沙羅の天からの声をして、父殺しの罪の重いことを罪と知らせて仏世尊の所へ往くことを勧めます。
単に慰めるのではなく地獄必定を示し、罪を罪であると引き受けさせてすみやかに仏の所に往くことを勧めます。
父殺しの事実を事実であると告げ、その責任主体は阿闍世以外にはないとの教示です。
阿闍世は恐怖に震えながらも耆婆とともに世尊の所へむかいます。途中でも地獄に堕ちる恐怖の為に阿闍世は耆婆と同じ象に乗ってなんとか地獄へ墜ちるのを免れようとします。
そんな阿闍世が仏世尊の法を説くのを聞き、無根の信、自己の煩悩心より生じたのではない信を得ます。自己が自己によって自己を知る信ではなく世尊の説いて下さった法をあるがままに、そのままに受け容れた信です。まさに他力廻向の信心です。
ここで阿闍世は心の向きが変わってしまいます。地獄を恐れ父殺しの罪に怯えていた阿闍世が「われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もつて苦とせず」と衆生の為ならば地獄へ堕ちてもかまわないと言い切るのです。
地獄へ堕ちることに愁苦していた阿闍世が地獄を引き受けてしまったのです。父殺しの罪を己の罪として引き受け、あまつさえ衆生の為ならば地獄で無限の苦しみを受けてもかまわないと言い切るのです。
阿闍世はここで地獄を転じてしまったのです。地獄必定と引き受けることによって地獄を転じてしまったのです。地獄行きの悪を転じて善にするのではなく、己が地獄を引き受けることによって地獄を転じてしまったのです。
まさに悪を転じて徳をなす転悪成徳ではあります。

菩薩はいつも地獄行きと聞いたことがありますが、法華経の地涌の菩薩も地獄から涌きあがってきた菩薩なのでしょうか。
100の命を救うためにどうしても1つの命を殺さなければならない。
そしてそれを自己の地獄行きの罪であるとし、それを引き受けて地獄に墜ち、また還ってきて衆生済度を無限に繰り返していくのが菩薩道なのでしょう。
いやひょっとしたら地獄こそが菩薩の居所かもしれません。
このような無限の菩薩の菩提心を四弘誓願に顕わしています。

衆生無辺誓願度

煩悩無辺誓願断

法門無尽誓願知

無上菩堤誓願証


やっぱりこのような言葉は人間の側の領域からは出てこない文言です。

浄土の大菩提心は
 願作仏心をすすめしむ
  すなはち願作仏心を
   度衆生心となづけたり

罪を罪とも知らず、地獄を引き受ける力もない小生に、浄土の大菩提心のなんまんだぶつを称えさせ、なんまんだぶつと聞こえる、なんまんだぶつの名号不思議のちからなりではありました。


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城の石垣 

小生の住む在所の近くに丸岡城という日本で一番古い天守閣をもつ城があります。
子供の頃に遠足に行った時、友達と競いあって天守閣に登り景色を楽しんだものでした。
遠くに自分の家が見えないかと眼をこらして景色を眺めたものでした。
やがて景色を見るのに飽き天守閣から降りて、城の石垣を登ったり石垣の大きさを両手で測ったりして遊んだものです。
小生に、教学は城の石垣のようなものだと教えて下さった勧学和上様がありました。
なんまんだぶつの城の天守閣に登って阿弥陀様のお慈悲を眺め、なんまんだぶつのいわれを聞けばそれで十分ではないか。何の不足があるのかとのお示しでした。
そして今少し暇があるなら、なんまんだぶつの城の石垣の組み方を勉強するのは御恩報謝です、とのお言葉でした。

そうでした。石垣の組み方を学んでから信じる宗教ではありませんでした。大丈夫だろうかと石垣の構造をひねくり回して安心するご法義ではありません。
なんまんだぶつとたのませて(憑)なんまんだぶつと称えさせ、なんまんだぶつと迎え取るのが浄土真宗のご法義です。


後は暇にまかせてお聖教を拝読し、うまく組んであるなあと先達の釈を讃嘆し楽しむのは、こちら側の目的のない遊びです。
遊びですから自分の解釈にあまり一生懸命になってはいけないのです。一生懸命になって説いて伝えて下さった、内容・目的を聞信するだけなのでしょう。


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門香 

小生の叔父は十数年程前、筋無力症で西方仏国の住人になってしまいました。
長い間自宅で療養していましたが往生する一週間前に入院し、兄である家のじいさんに抱かれて自分の家に戻りました。
病院では叔父の二人の子供と奥さんが、交代で付き添って、だるいと言う足をさすったり手をさすったりしての看病でした。
小生も痩せて筋肉が落ちて骨と皮のようになった足をさすらせて頂きました。
やがて、叔父の家族と親戚の見守る中での臨終でした。家のばあちゃんが小声でなんまんだぶつと称える中で息を引き取って往きました。
当時なんまんだぶつの意味を知らなかった小生は思わずばあちゃんを睨み付けたものでした。
じいさんに抱かれて自宅に帰り、仏間に寝かされた叔父に仏壇が開かれ蝋燭が点もされ、香が焚かれます。
合掌している小生はふっとお香の香りに気づきました。いつもなじみの香りでしたが何故か新鮮な不思議な感じのする香りでした。

御開山聖人は念仏は聞きものとおっしゃいます。私が称えるなんまんだぶつは聞其名号、と聞きものとの仰せです。連れていくぞの弥陀の呼び声と言われた方がありました。
称えるこちら側には用事のない、まるで香の香りのように何の努力もない中にふと香ってくるようなものでしょうか。
そういえば聞香という言葉がありました。香りを聞くといって香を焚き、香りを楽しむものです。
香りを聞くとは不思議な表現です。きっとふくいくと漂ってくる香りを気構えなく、香って来るままをそのまま楽しむから香りを聞くというのでしょうか。

こちら側が耳をそばだて命がけで聴くのではなく、何の身構え気構えもないところへあちら側からこちら側へ届けられている事の表現が香りを聞くと言う表現になるのでしょうか。
まさに、いつでも、どこでも、誰にでも届いている仏様の法のようなものです。
香りが聞こえてきたらそこに身を委ねるように、なんまんだぶつが聞こえてきたらそれに身を委ねてみる。称える事に着目するよりも、称えさせているものに着目してみる。
信心の入れ物に着目するよりも、信心が、称えられる名号となってはたらいている、なんまんだぶつに着目してみる。

生きている南無阿弥陀仏は、お前の口先に称えられ行じられているなんまんだぶつなのだよ、と示して下さった和上様を憶念して、なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ・・・・・・・・




たった一人のビハーラ 

「行って来るわね」と言って家内が月に一度のビハーラに出かけます。
電話の様子からすると仲間の時間がとれないらしく、今日も一人でビハーラに出かけます。一人で病院に電話をかけアポイントを取って出かけます。
97歳のばあちゃんと76歳のじいちゃんの居室訪問です。
76歳のじ「ちゃんは声が出なくて会話ができないので、じいちゃんの許可を得て仏書の朗読です。
97歳のばあちゃんは家内の行くのを待ちかねたように喋りだし、同じ話を何回も繰り返すそうです。家内が、そんなばあちゃんから聞いた話を小生に教えてくれました。

「上はソロリ、中はピッシャン、下は3寸。下下の下は、オッパッパ」

なんでもばあちゃんが子供の頃に戸の締め方を教えてくれた母親の言葉だそうです。
上品(ジョウボン)はソロリと戸を閉めます。
中品(チュウボン)はピッシャンと音を立てて戸を閉めます、下品(ゲボン)は3寸程開けたままで戸を閉めたつもりです。
下三品(ゲサンボン)の下下の下は戸の存在すら忘れて戸を閉める事さえしません。開けっ放しのオッパッパです。

カラリと開けっ放しのオッパッパの下品下生の小生に、まさに無量寿仏名を称すべしの、なんまんだぶつが満ち満ちて下さいます。

「家はいつもビハーラね」と89歳と85歳の年寄りと暮らす家内は言います。
ご飯を作るのもビハーラ、惚けて何をしでかすか解らないばあちゃんの後始末をするのもビハーラ。
小生が頑固じいさんとご法義讃嘆し法論をするのもビハーラでした。時には喧嘩をし、言い争ったり、叱ったり、慰めてみたり、愚痴を聞いたり、お念仏をしたりと、教えられたり教えたり、毎日毎日がおかげさまの家庭内でのビハーラ実践活動です。
そして身近だけれど、これが一番難しいビハーラです。


なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...





通り抜け禁止 

いつも通る4車線の道路沿いに建設屋さんのビルがある。このビルには大きな駐車場があるが、あまり車が駐車しているのを見たことがない。
駐車場の入り口には大きな看板に「通り抜け禁止」と大書してある。
ある日のこと、前方で工事のためか片側通行になって車が渋滞した時のことである。何故か急に左側の車線の車だけがスムーズに動き出した。
渋滞しているのに不思議な事だなあ、と思いながら小生も車を走らせるとなんと「通り抜け禁止」と書いてある駐車場へ車が入って行く。
駐車場を通り抜けて、本道ではなく裏道へと車が通り抜けていくでのであった。
通り抜け禁止」と書いてあることで、実は通り抜け出来ることが分かってしまったのであった。

大無量寿経の阿弥陀様のご本願には、唯除五逆誹謗正法と五逆を犯した者、正法を誹謗した者のを除くとのことである。
しかし一切衆生を救うというご本願に、何故わざわざこのような文言を付加されてあるのだろうか。
きっとこれは五逆誹謗正法通り抜け禁止のスローガンに違いない。本意ではないが、五逆誹謗正法の小生までも、私の国に生まれなかったら正覚をとらないと誓ってある、至り届いたご本願との和上様のお示しであった。
「唯除」と本意ではないとしながらも、背いている者にまで道を用意して下さってある大慈大悲の特哀の御文ではありました。

爾来、なるべく「通り抜け禁止」の道は通らないで、五逆誹謗正法を慎んで本道を行こうと思うのは、こちら側の御恩報謝の真似事、楽しみ事でありました。


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ばあちゃんの日課 

家の今年八五歳になるちょと痴呆のばあちゃんは草取りが日課です。

朝は暗い内から起きだして、日の出を待って庭や畑の草取りをする事が生き甲斐です。
おかげで徘徊もありません。
そんなばあちゃんは、暑い日には外での草取りから家にはいると、上半身裸になって暑い暑いと言います。
小生も吸いついて、今はもうしなびて垂れ下がった乳も放り出して、暑い暑いと言います。
そしてなんまんだぶつを称えます。
小生はそんなばあちゃんの称える、なんまんだぶつが大好きです。

ようこそ称えるだけの、なんまんだぶつに仕上げて下さった阿弥陀様のご法義です。
そして小生に聞こえて下さる、なんまんだぶつの呼び声です。


ようこそ、ようこそ、なんまんだぶつ・・・・・・。